第10章 お正月
新年を迎えるって、どういうこと?
 コラム
昔のお正月は行事がいっぱい



 今はお正月というと、正月三ヶ日或いは七草を食べる七日までをさすようになってしまいましたが、少し前までは何々正月と呼ぶ行事が何度か続いたものでした。

 たとえば、小正月。これは旧暦の1月15日(又は14日から16日)をいいます。元日を大正月と呼ぶのに対しての名称です。京阪神地方では「女正月」ともいいます。

 月の満ち欠けを日付けの基準とした旧暦では、新月の一日を「朔(ついたち)」、満月の十五日を「望(もち)」とよびました。したがって小正月は「望の正月」としてお祝いされたのです。

 明治5年12月の改暦以降、新暦(太陽暦)が普及するに及び1月1日の大正月が正式の正月になるにつれて、小正月は豊作祈願に結びついて伝えられてきました。

たとえば、餅花(餅を薄くのばし、丸く平たく切って彩色したもの)や削り花(丸木を削って作った造花)などを飾ってお祝いしました。そのため「花正月」ともいわれています。

 またよく知られた行事では「どんと焼き」「左義長(さぎちょう)」「鳥小屋(とりごや)」があります。正月の門松注連飾り書初めなどを持ち寄ってお焚き上げします。ここで正月が一区切り、正月事納めの意味が強い行事です。

 しかし、まだ正月は終わりません。

 小正月あとの16日から18日にかけては、「仏の年越し」とか「先祖正月」などといって、それまで控えていた墓参りをする地方もあります。

 16日は薮(やぶ)入り。商家の奉公人の休日、里帰りの日でもあったので「丁稚(でっち)正月」ともいわれます。

 20日は「二十日正月」、「麦飯正月」ともいいます。これは20日にもなると餅を食べ終えて、麦飯を食べるようになるためといわれています。

 その後も25日を「しまい正月」、30日を「みそか正月」などとも呼んで、正月行事を続けました。

 こうしてみると、ほぼ一ヶ月にわたって大小様々な正月行事が繰り広げられていることがわかります。それだけ昔は生活と時々の行事が密接につながっていたといえます。



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